先史・古墳時代

私たち日本人の祖先はどんな衣服を着ていたのでしょう。
一番古い史実は「魏志倭人伝」ということになるでしょう。

日本は、四世紀、大和朝廷として統一国家になりますが、
三世紀頃までは群小国家の集まりで、当時、中国と交流のあった三十国の中の
一つが邪馬台国でした。
その女王であった卑弥呼が、貫頭衣(かんとうい)を着ていたというくだりが
あります。

貫頭衣というのは、巻布衣と並んで、衣服の原型です。
長方形の布の真ん中に穴を開けて、そこから頭を出すという形で、現在も
中南米のインディオの衣服に形に多く見られます。
また、ギリシャ、ローマ時代の衣服も、貫頭衣のウエストをちょっと絞るような形
になっていました。

巻布衣は、インドのサリーのように、体に布を巻きつける形です。
卑弥呼といえば、239年に洛陽へ使者を出したり、中国との交流の面で、当時は、
日本を代表するような人物ですが、そういう人でさえ、まだ、えりやそでをもった
衣服は着ていませんでした。

しかし、古代中国の肖像画をみると、えりやそでをもった、いわゆるきものを
着ていることがわかります。
中国の夏の国の禹(う)王の像をみても、今から四千年も昔の人がきものを
きていますし、商の湯王、孔子、孟子、屈原の像など、
いずれも斜めの衿合わせ、広いそで、前合わせを押さえる帯などの、日本の
着物の原型が、すでにこの時代に、中国に存在していたことがわかります。
この形は、日本、ブータン、ベトナムへも影響を与えていきます。

三世紀の貫頭衣も、徐々に合理的に改良されていきます。
4〜5世紀になると、出土品の埴輪などから、衣服の形を知ることができます。
貫頭衣にそでがついて動きやすくなり、衿合わせが斜めになって、男女とも
赤い紐で結んでいます。
この時点では、左衽(さじん)着装法といって、男女ともに、左前に、衿をあわせ
ています。

                < 参考引用文献〜京の着つけと帯結び〜 >

2005年12月23日 23:32

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