奈良時代

現在と同じ右前の着方ができたのがこの時代です。
聖徳太子亡き後も、日本は中国に対して、引き続き遣唐使を派遣し、
奈良時代の文化は唐の影響を大きく受けます。

奈良の都は、隋・唐の都、長安にまねて、道路も碁盤の目のように敷かれました。
仏教を基盤とした彫刻や壁画にも唐風のものが多く、こうした風潮の中で、
衣服は、地位や権力を象徴するものとなり、衣服とあわせて、髪型や冠、
頭飾りなども、唐風をまねていきます。

さて、衿合わせについてですが、
元正天皇の養老三年(719)二月三日に出された衣服令の中に、
「天下百姓をしてえりを右にせしむ」(続日本記)という一文があります。
つまり、上は天皇から下は百姓まで、衿合わせをするときは、右衿を先に
あわせなさい、ということなのです。
それまでの、埴輪に見られたような左前の着方は、この衣服令を境にして、
右衿を先にあわせるように変わっていきました。
現在、私たちが、着物を右前に着るという常識は、実は千三百年も昔にだされた
衣服令にその事実があり、それから長きに渡って守りつづけられてきたことだ
ということがわかります。

奈良時代の衣服の素材としては、絁(あしぎぬ=昔の絹織物で、
今織られている「ちりめん」の遠い先祖)や苧麻(ちょま)、大麻、藤などの
植物繊維が主でした。正倉院の宝物をみますと、すでに8世紀に素晴らしい
織りや藹纈(ろうけち)や夾纈(きょうけち)、纐纈(こうけち)などの染色法が
あったことがわかります。
                 < 参考引用文献〜京の着つけと帯結び〜 >


※蝋(藹)纐(ろうけち)、夾纐(きょうけち)、纈纐(こうけち)は、古くから日本で
行われてきた染色技法で、これらを総称して三纐(さんけち)と呼びます。

●蝋纐(ろうけち)
蝋を使って防染する方法で、蝋染めともいいます。
木版に蝋をつけて、それを布に押し付けたり、溶かした蝋をふでにつけて
模様を描いたりしたあと、染め上げます。ろうの部分以外に色がつきます。

●夾纐(きょうけち)
二枚の板で布をはささみ、折り目やたたまれたかさなりに色が付かないことで
面白い模様ができます。インド、中国をへて伝わりました。
(「麻の葉」とよばれる染め方が有名になります。折かさねた布を三角の板で
はさんでつくります。)

●纈纐(こうけち)
布をつまんでくくったり、縫ってちぢめたりして防染する方法です。夾纐(きょうけち)より、より自由な意匠が可能です。
(桃山時代には、幻の染めといわれる辻が花、江戸時代には鹿の子や
疋田(ひった)絞りなどがでてきます。)

2005年12月23日 23:34

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