昭和時代
経済的な大恐慌の中であけた昭和は不景気で、犬養首相をはじめ政財界の大物の暗殺など、不穏なニュースが新聞紙面をうめていきます。
昭和7年12月16日、東京の白木屋で火事があり、ロープを伝って上から避難してきた女子店員が、下から野次馬に見られるのはずかしくて手を離し、墜死他14人の犠牲者を出しました。それ以後、ズロース(パンティー)をはこうと呼びかけるようになったのです。
昭和初期から日中戦争と、昭和16年12月8日に勃発した太平洋戦争・・・と、小さい日本は大国を相手の無謀な戦争に駆け出していきます。昭和14年6月にはパーマネント禁止、昭和15年7月7日には衣服に金銀を使うことを禁止した、いわゆる七・七禁令が出され、11月に国民服が制定されました。
太平洋戦争も雲行きが怪しくなったころから、食料事情も悪くなり、ほとんどの
着物や帯は、もんぺに改良されたり、米や野菜と交換されたのでした。
衣料切符制がしかれて後も、現実は戦争下で自給自足の生活。
西陣も、織り手が出征し、糸もなく、機音が止まってしまいました。
そして、悲惨な原爆。終戦。
敗戦後の日本の復興振りは、まさに日本人の勤勉、努力の結果に
他なりませんが、西陣をはじめ、室町かいわいの問屋街も、全国の呉服店も
出征していた人たちが復員し、やがて、糸の統制もとれて、少しずつ織物業界
全体が、活気をおび始めました。
昭和34年、皇太子殿下のご結婚以後、美智子妃殿下の美しい着物姿は、
話題になりました。
現在、私たちは、平和な中でおりにふれ、着物を楽しんでいるわけですが、
世界のどの服飾史も、その時代を映しています。
今後、時代のテンポの速さと生活環境の変化の中で、着物、帯の形が
いくらか変わっていくでしょう。簡便さと活動性を要求されながら、
現在の着物、帯の形がなかなか変わらないのは、伝統の染織が着物と帯の形
の中で、定着しているからでしょう。
過去の何れの時代もそうであったように、その時代に生きた人々の手で
服装の形は選択されてきたのです。
< 参考引用文献〜今日の着付けと帯結び〜 >
2005年12月23日 23:39
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